帳簿と記録の義務
介護タクシーの事故記録 — 起きてからでは、作れない帳簿
これまで私が書いてきたのは、日々つける記録や、知らずにいた義務の話でした。毎日の点呼、点検、運行、それに教育。どれも、続けていくための記録です。けれど今回は、少し性質の違うものについて書きます。起きてほしくないことのための記録——事故の記録です。
私はまだ、事故を起こしていません。それなのに、なぜ先にこれを用意したのか。その理由を書いておきたいのです。
書いているのは、関東で介護タクシーを営む現役の個人事業主です。
「何も起きなかった」との距離
一度だけ、背筋の冷えたことがあります。
車椅子のお客様を車内に引き上げようと、ウィンチを作動させました。ところが、動かない。何度スイッチを入れても、うんともすんとも言わないのです。おかしいと思って運転席を確かめると、ギアがパーキングに入っていませんでした。何気なくギアに触れた、その瞬間、車がわずかに後退しました。
結果として、何も起きませんでした。お客様にも、私にも、けがはありません。けれど、もしあのとき車が大きく動いていたら——そう考えると、今でも肝が冷えます。お客様にけがをさせていたかもしれない。そしてそうなれば、これはもう、報告する義務のある事故だったのです。
何も起きなかった日と、報告案件になっていた日。その二つの距離は、私が思っていたよりも、ずっと近いところにありました。
その日から、停車のたびにパーキングとパーキングブレーキを確かめるクセがつきました。そして、ウィンチが動かないときは、まずギアを疑おうと決めました。もっとも、その状況はあれ以来まだ一度も来ていませんし、来ないままでいいと思っています。
事故にも、記録と報告の決まりがあった
帳簿を一つずつ調べていくうちに、私は事故についての決まりにも行き当たりました。
事故が起きた場合には、その記録を残しておく義務があります。そしてそれとは別に、決められた期限までに報告を上げること、重大な場合にはただちに速報を入れること——そうした枠組みが定められていました。
日々の帳簿とは、少し毛色が違います。毎日書くものではなく、起きたときにだけ動くもの。だからこそ、ふだんは意識から抜け落ちやすい。私自身、調べるまでは、事故に「記録の様式」や「報告の段取り」があること自体を、はっきりとは分かっていませんでした。
起きてからでは、作れない帳簿
ここで、私はあることに気づきました。この帳簿だけは、ほかとまったく性質が違う、ということにです。
これまでの帳簿は、後から義務だと気づいても、気づいたその日から始めることができました。点呼も、点検も、教育も、遅ればせながらでも積み直せた。けれど、事故の記録はそうはいきません。
事故が起きた直後の自分を想像してみます。冷静ではいられないはずです。気が動転し、目の前の対応に追われている。その状態で、「これは記録がいる事故なのかと気づいて、何を書くべきか調べて、決まりを理解して、報告の形を組み立てる」——この一連を、その場でやり切れるでしょうか。私には、とても無理だと思いました。負担が大きすぎる。それどころか、「いっそ知らなかったことにしてしまおう」という気持ちに傾いても、おかしくない。
だから、この帳簿だけは、起きる前に流れを作っておくしかないのです。何を書くのか、どこへ、どう知らせるのか。それを、まだ冷静でいられるうちに決めておく。手段は、何でもかまいません。記録の様式を印刷して車に積んでおくのでもいい。とるべき手順を書いた紙を、車の中に一枚挟んでおくだけでもいい。大事なのは、動転した自分が、考えずに手を動かせる形が、先にそこにあることです。
健康も、同じ構造だった
同じことを、私はもう一つの場面でも感じています。自分の健康についてです。
乗務の前に、自分の体調を確かめること。これは点呼の一部として、毎日やっています。眠れているか、酒は残っていないか、どこか具合の悪いところはないか。これは決まりでもあり、私自身の習慣にもなりました。
ただ、健康診断となると、話が違ってきます。調べた限りでは、一人でやっている私自身が診断を受けることを義務づける決まりは、見当たりませんでした。誰からも、受けろとは言われない。だからこそ、放っておけば、何年でも受けないままになってしまう。
これは、事故と同じ構造だと思いました。悪くなってから気づくのでは、遅いのです。体の不調は、たいてい静かに進みます。誰にも急かされないまま、気づいたときには手遅れ、ということが起こりうる。だから今年は、自分から受けて、その結果を記録として残すことにしています。義務だからではなく、事後では間に合わないと分かったからです。
何も起きない日々の中に、備えを置いておく
事故の記録も、健康も、「起きてから」「悪くなってから」では動けない領域です。
先に形を決めておくのは、私が几帳面だからではありません。むしろ逆で、いざという時の自分を、信用しすぎないためです。動転した自分、後回しにする自分。そういう自分が現れることを見越して、まだ冷静な今のうちに、手を打っておく。
何も起きない日々が、ずっと続くこと。それがいちばんいいに決まっています。事故の記録も、健康の記録も、できれば一度も出番がないままであってほしい。それでも、その穏やかな日々の中に、備えだけは静かに置いておく。それが、この仕事を続けていくということなのだと、今は思っています。
次は、年に一度、運輸局へ提出する報告について書いていきます。
※この記事は私自身の体験を記したものです。事故の記録・報告や健康管理の正確な要件は、管轄の運輸支局や国土交通省の公式情報でご確認ください。